◆薬用資源としての「冬虫夏草」

大島 吉輝
1952年生まれ

東北大学大学院薬学研究科 教授
専門:天然物化学

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写真:大島 吉輝

薬用資源としての課題
 「冬虫夏草」は,中国では古来より漢方の薬膳料理における上品の素材として,高麗人参とともに一部の貴族階級の人々に賞用されてきました。漢方の「冬虫夏草」は、フユムシナツクサタケ (Cordyceps sinensis) の子実体とその寄主である昆虫の幼虫を乾燥したものです。子実体は太く黒色、虫体は明るい黄色,内部の菌糸体は純白色のものが良品であり、なかでも四川省巴人工培養のハナサナギタケ塘に産するものが最も高い評価を得ています。
原色和漢薬図鑑(難波恒雄著)によると「冬虫夏草は肺、腎を益し、精髄を補い、血を止め、痰を化し、労嗽(ろうそう)をとめ、虚損を補う効があり、疲労、咳嗽(がいそう)、咳血、陽痿(ようい)、遺精、腰膝の疼痛などの症に用いられ、強壮、鎮静、鎮咳薬として、病後の虚弱症、インポテンツ、肺結核の吐血、老人性慢性咳嗽、盗汗、自汗、貧血症などに応用される」とされています。
フユムシナツクサタケを含むCordyceps属菌類を広義の「冬虫夏草」とよびますが、最近ではこの広義の「冬虫夏草」も民間療法において漢方と同じ効能や制癌作用があると期待されています。医薬品としての可能性を求めて、これらの「冬虫夏草」についても数多くの薬効の検証実験がなされてきました。例えば、滋養強壮作用として、フユムシナツクサタケの培養菌糸体エキスを飲用した長距離陸上選手に運動機能向上が認められたり、マウスやラットの実験では糖代謝の効率向上作用、筋肉疲労の軽減、心肺機能向上作用などが認められています。これらの他にも,フユムシナツクサタケ、セミタケ(C. sobolifera)、ノムシタケ(C. cicadae)、サナギタケ(C. militaris)、ハナサナギタケ(Isaria japonica (=Paecilomyces tenuipes))などの培養エキスには、抗腫瘍、鎮静、鎮痛、鎮痙、消炎、結核菌などの生育抑制、血糖降下、心筋収縮抑制、血小板凝集阻害など,多くの薬理作用を示すことが報告されています。しかし、これらの「冬虫夏草」の薬理作用の活性成分の多くはいまだ特定されておらず、その薬理作用の機構についての研究も十分には進んでいるとはいえません。「冬虫夏草」の中から安全で安定した薬効をもつ新薬を開発するためには,「冬虫夏草」の薬理活性物質をきちんと特定し、その物質の薬理作用の詳細を明らかにすることが,今後の重要な課題となっています。

新しい薬の誕生に向けて薬用資源の化学構造式
「冬虫夏草」は,昆虫からみると死にいたる感染症といえます。昆虫が感染症から身を守るための仕組みを「生体防御機構」といいます。一方,寄生菌は「生体防御機構」を破るためにさまざまな工夫をしています。このような、昆虫と寄生菌との攻守において、昆虫は免疫活性化物質や抗菌物質をつくり身を守ろうとするのに対し、寄生菌は毒素や免疫抑制物質を産生して対抗すると考えられています。
1994年に藤多哲郎教授(京都大学薬学部)らのグループは、ツクツクボウシ(蝉)の幼虫に寄生する Isaria sinclairii (=Paecilomyces cicadae) の培養液から生体免疫を抑制するミリオシンという活性成分を単離しました。しかし、ミリオシンは人の免疫を抑制するばかりではなく、強い毒性も示します。そこで、藤多教授らのグループは、製薬企業と共同して、ミリオシンの毒性を大幅に軽減することで免疫系にだけ作用する物質 「FTY720」 をつくり出すことに成功しました。現在、「FTY720」については臨床実験が進められており、「冬虫夏草」をもとにした新しい免疫抑制剤が世にでる日も遠くはないと期待されます。
現在のところ、「冬虫夏草」の薬としての可能性はそのほんの一部だけしか解明されていないのかもしれません。「冬虫夏草」を特徴づける寄主特異性を考えると,「冬虫夏草」全体では非常にたくさんの化学物質が関わっていると推定されています。「FTY720」の開発は,「冬虫夏草」の「未知なる有用薬用資源」としての可能性を示すものといえます。

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