◆昆虫の病気としての「冬虫夏草」

松田 一寛
1944年生まれ

東北大学大学院農学研究科 教授
専門:昆虫生理学

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写真:松田 一寛

昆虫の病気としての「冬虫夏草」
昆虫の生体防御機構
 体外から侵入する菌類などの異物に対する反応(生体防御機構)は、脊椎動物と昆虫では大きく異なっています。昆虫の生体防御機構は,侵入を物理的に防ぐ皮膚と、侵入した異物の増殖を防ぐ免疫からなりたっています。

生体防御のモデル皮膚による生体防御
 昆虫は外骨格とよばれる硬い皮膚でおおわれています。昆虫の皮膚は外側から表皮(クチクラ),真皮,基底膜からできています。表皮は,真皮細胞の分泌物からなる層で,外側は硬いセメント層とワックス層からなり,その内側に,たくさんの小さな孔管や導管が開いたタンパク性外表皮があります。
寄生菌類は昆虫の皮膚に穴をあけて体内に侵入しようとしますが,皮膚には,カプリル酸,カプリン酸,フェノール,飽和脂肪酸,3,4-ジオキシ安息香酸など菌類の発芽や発育を抑制する物質が含まれており,菌類の侵入に抵抗します。

免疫による生体防御
 昆虫の体液は,脊椎動物の血液,リンパ液や組織液を合せたものにあたることから血リンパと呼ばれています。血リンパに含まれる血球細胞には,体内に侵入した異物を食べたり(食作用),囲い込んで無害化する能力(包囲化作用)があります。また,血リンパには,細菌の細胞壁に含まれるリポ多糖体により誘導される抗菌物質が含まれています。
 血リンパに含まれるレクチンは,特定の糖鎖を区別して結合する糖結合性タンパク質の仲間で,異物の侵入があると合成されます。また,フェノール酸化酵素前駆体活性化系に依存したメラニン色素形成は,細菌や菌類の細胞壁に含まれる物質に反応して活性化されます。これらは,生体防御機構の中で異物の識別にかかわる重要な役割をはたしていると考えられています。

昆虫への感染
菌類の昆虫への感染と生育
 「冬虫夏草」の子実体のかさに相当する部分では子嚢胞子がつくられます。成熟した胞子は外に放出され,寄主昆虫の皮膚に付着することで感染のプロセスが始まります。
皮膚に付着した胞子は,すぐに発芽して発芽管を伸ばし,昆虫の硬い皮膚(クチクラ)に穴を開けて体内に侵入を試みます。このとき,発芽管の先端からキチナーゼやプロテアーゼなどの酵素を分泌して皮膚を溶かします。
皮膚を突破して昆虫体内に入った発芽管は,体液中で短菌糸と呼ばれる円筒形の短い菌糸細胞を増殖させ,それぞれがしだいに伸長して糸状の菌糸となります。やがて,菌糸は増殖して昆虫の体腔中に充満し,菌糸の塊(菌核)になります。この時昆虫の内臓などの柔組織は破壊され昆虫は死にます。乾燥した条件下では,この菌核の状態で数ヶ月休眠しますが,適当な湿気に恵まれると,菌核から子実体が生えてきます。

昆虫と菌類が作る物質
「冬虫夏草」は昆虫の生体防御機構の研究において優れたモデルとなっています。最近の昆虫の生体防御機構の解析では,レクチン,糖質分解酵素,糖転移酵素などの働きを調べる糖鎖生物学が重要な役割を果たすようになってきました。また,薬学からは,菌類が虫体の分解を妨げるために作るコルディセピン(cordycepin)やオフィオコルディン(ophiocordin)という抗生物質に関心が集まっています。これらの物質には細胞の生育や増殖を抑制したり,菌類の発育を阻害する作用があることが知られています。

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