◆菌類としての「冬虫夏草」

横山 潤
1968年生まれ

東北大学大学院生命科学研究科 助手
専門:系統進化学・ 多様性生物学

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写真:横山 潤

菌類の分類「冬虫夏草」の仲間 菌類の分類と生態
 菌類は植物や動物とならぶ主要な生物群の一つで,最も単純な真核多細胞生物です。その出現は古く、菌類に似た化石は約9.5億年前の先カンブリア時代の地層からも見つかっています。菌類はしっかりとした細胞壁を持っていますが,従属栄養生物であり,植物と動物の両方に類似した性質をそなえています。
菌類は,大きく4グループに分けられていますが,そのうち,比較的大きな子実体(菌類の生殖器官で、一般に“きのこ”と呼ばれている部分)をつくるのが担子菌類と子嚢菌類です。担子菌類は,マツタケ・マイタケ・キヌガサタケ・ホウキタケなどの仲間です。一方、「冬虫夏草」が属する子嚢菌類には,アミガサタケ・ヒイロチャワンタケのように大きな子実体を持つものもあれば,アカパンカビのようないわゆる「カビ」類、さらに酵母のように菌糸を作らないで細胞一つ一つがばらばらで生活するものまで,さまざまな大きさやかたちを有するものが含まれています。「冬虫夏草」は,この子嚢菌類のなかの核菌類に属し,イネ科植物に寄生する麦角菌の仲間です。
 菌類には寄生生活をするものが多く知られています。麦角菌の仲間には,植物に寄生するグループや「冬虫夏草」のように昆虫に寄生するグループなどが見られますが,なかにはウンカの消化管細胞に共生する酵母のようなグループも知られています。このように寄生する対象生物は大きく異なっていますが、最近の遺伝子のちがいにもとづく分析結果も「冬虫夏草」が麦角菌の仲間であることを支持しています。このように寄生や共生といった生物種間の関係の進化をしらべる上で核菌類は興味深いモデルとなっています。

子嚢菌類の生活様式冬虫夏草のライフサイクル
ライフサイクル(生活環)
 「冬虫夏草」を含む子嚢菌類には,不完全世代と完全世代と呼ばれる2つのライフサイクルが見られ、生育環境に応じてそれぞれをじょうずに使い分けた生活様式を示します(図3)。
不完全世代のライフサイクルでは無性生殖を行い、胞子から発芽した菌糸はそのまま伸びたり枝分かれして成長し,菌糸体をつくります。菌糸体はある程度成長すると,無性的な分裂によって分生子とよばれる胞子をつくり、これを放出して,新しい世代を作ります。一方,完全世代は有性生殖を行う世代で,有性生殖によって作られる子嚢胞子から新しい世代を作ります。有性生殖は,胞子から発芽した菌糸に膨らんだ多核の有性構造をつくることから始まります。有性のプラス株とマイナス株の菌糸が接合して二核性菌糸がつくられ,その二核性菌糸から子嚢果が発達し、成熟した子嚢果の中には子嚢がつくられます。子嚢の中では,二核の融合と減数分裂によって有性の子嚢胞子が形成され,これによって新しい世代がつくられます。

完全世代と不完全世代の共存無性生殖世代の“きのこ”
 いわゆる“きのこ”とは子実体とよばれる有性生殖を行う器官です。しかし,「冬虫夏草」の中には,分生子による無性生殖をおこなう子実体をつくるものもあります。昆虫に感染した「冬虫夏草」がどちらの生殖を行うのか,また,どのようにして無性生殖と有性生殖を切り替えるのかについては,まだ充分にはわかっていません。左図には,一つの寄主昆虫から有性生殖世代と無性生殖世代の両方の子実体を形成している標本が描かれています。このような標本を解析することで,この問題を解決するヒントがえられる可能性があると考えられています。




形態の部位名称

「冬虫夏草」の分類形質
 生物を分類する上で重要な手がかりになる性質は「分類形質」とよばれます。「冬虫夏草」は,子実体の形を手がかりに分類されています。子実体は,子嚢をおさめる子嚢果と呼ばれる器官と,それをのせる柄の部分からなります。子嚢果がならぶ部分(子座)の大きさや形は種によって異なっています。また,子嚢果のならび方や柄に埋れている程度,子実体の色などが種を同定するための重要な分類形質になっています。
 「冬虫夏草」は,種によって寄生する昆虫の種類が限られています。この性質を「寄主特異性」と呼ぶことがあります。「冬虫夏草」を分類するうえで,寄主昆虫の種類が,子実体の形と並んで重要な手がかりとなっています。このように,著しい寄主特異性を示すことが「冬虫夏草」の際立った特徴となっています。

冬虫夏草」の系統関係と寄主特異性
 最近の分子生物学の発展により、生物種間の系統関係を遺伝的なちがいの程度からしらべることができるようになりました。ある生物グループに属する種について他種との遺伝的なちがいをしらべることで,そのグループの進化についての情報を系統関係として推定することができます。このような方法を使って「冬虫夏草」の系統関係をしらべてみると,多くの場合は,系統的に近い種どうしは子座の形や寄主といった重要な分類形質も互いに共通していることが分かりました。
その一方で,イネゴセミタケやウメムラセミタケとハ系統樹と寄主の関係ナヤスリタケとの関係のように、形態的には似ているにもかかわらず,互いの寄主がまったく異なるグループがあることも分かりました。この分析結果は,ツチダンゴ(土の中に子嚢菌がつくる“きのこ”)に寄生する「冬虫夏草」は,セミに寄生する「冬虫夏草」と系統的に近いことを意味しています。このようにいちじるしく異なる生物種に寄生するようになる原因や過程については,いまのところほとんどわかっていませんが、もしかすると,このような「冬虫夏草」のグループが,寄主特異性の進化を理解するうえでの手がかりとなるかもしれません。

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