◆本草学の中の「冬虫夏草」

米倉 浩司
1970年生まれ

東北大学大学院理学研究科附属
八甲田山植物実験所 助手
専門:植物分類学

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写真:米倉 浩司
本草学とは
 本草学とは、薬用になる動植物や鉱物を理解するために、自然界に見られる動植物や鉱物を体系的に整理する学問です。古来中国において発展した本草学では、天地自然が万物を生み、陰陽二気の消長がこれを育てるという易の思想にもとづき、生物の中に陰陽の要素を見いだし、それによって生物の体系づけが行われた点に大きな特色があります。

中国における冬虫夏草
 中国で「冬虫夏草」といえば、中国南西部〜チベット高原のヒマラヤ高山帯に生息するコウモリガの幼虫に寄生するCordyceps sinensis (Berkeley) Sacc.を指す用語で、いわゆる冬虫夏草類全般を指し示す用語としては「虫草」という語が用いられています。
中国においては、すでに9世紀に段成式によって編纂された『酉陽雑俎』中に虫草の記述があります。『證類本草』(1082年)に記されている「蝉花」はセミタケ類に相当すると考えられます。中国の本草学を集大成した李時珍(1523〜1596)の『本草綱目』にも「蝉花」として虫草についての記載がみられます。中国の本草書において「冬虫夏草」または「夏草冬虫」の用語が見られるようになるのは18世紀前半です。易の思想によれば、植物(草)は陰の要素を持ち、動物(虫)は陽の要素をもつとされるので、「夏に草となって実を結び、冬に虫となって動き回る」という発想により、この用語が選ばれたと思われます。このように、陰陽の要素をあわせ持つ冬虫夏草は、不老不死、強精強壮の秘薬として尊ばれるとともに、宮廷料理にも最高級の食材として用いられてきました。

増島金之丞「菌史」日本における冬虫夏草
 日本の本草書に冬虫夏草類が記録されたのは、松岡恕庵『用薬須知』(1726年)にある「蝉花」が最初で、この頃までに日本国内でも冬虫夏草類の存在が知られていたことが推測されます。栗本瑞見(1794-1812)によって著された『千虫譜』によれば、1728年には長崎に中国寧波から「蝉花」が薬草としてもたらされたとされています。これは真正の冬虫夏草Cordyceps sinensisであろうと考えられます。長崎にはこの後もしばしば本種が輸入されたようで、いくつかの文献で言及されています。増山正賢『虫豸図譜』(1800年)や、柚木常盤『冬虫夏草』(1801年)にはそれぞれ数種の冬虫夏草類が記載されており、他にも19世紀初頭に著された多くの文献で冬虫夏草に関する記事があるので、この頃には冬虫夏草類はかなり注目を浴びる存在になっていたことが伺われます。また、『筑後地誌略』(1879年)によると、筑後(福岡県)八女郡の山中で産出したカメムシタケが「夏草冬虫」の商品名で薬として市販されていたということであり、すでに日本産の冬虫夏草を薬用にすることがこの時代に行われていたようです。

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